設立趣旨

 

産業遺産国民会議 設立趣意書

 産業国家にとって、産業文明の仕事や営みは科学へ挑戦をしてきた国の近代化の歩みそのものである。わが国に宿るものづくりの心は、この国を豊かな国にしようと試行錯誤を繰り返してきた匠の技にある。やがてその志は海を渡り、わが国に「技術という文化」をもたらし、産業のシステムやインフラを構築し、この国の形をつくった。これらは大戦や経済不況や災害、時代の波にもまれ、時には屈折し、挫折しながらも世代を超えて継承されてきた。

 

 産業とその経済活動がもたらした遺産は科学的、技術的、社会的価値を有し、文明社会の形成においてかけがえのない歴史的意義を持つ。産業はシステムであり、その多くには「遺産」という言葉が適合せず、現役稼働の先端技術の現場で未来に生きている。「技術という文化」は時代のニーズや産業の発展とともに進化変容し、また今後も進化するものである。

 

 十九世紀後半、幕末の志士は志を胸に極東の閉ざされた島国を植民地化から守るため、産業化という道を選択し、わずか半世紀で、国家の質を変革した。中でも重工業は、経済圏での地位を確保する工業国家の原動力となり、100年の時を超え国の屋台骨を支えている。産業は市民の営みの歴史であり、その生活文化や知恵と情熱がわが国の繁栄を支える原動力である。産業を支えた名もなき人々の尊い文明の仕事を次世代に継承することを目的とし、ここに国民会議を設立する。

 

 平成21年(2009年)、ユネスコ世界遺産の暫定一覧表掲載「九州・山口の近代化産業遺産群」(注1)は、幕末から明治にかけての急速な産業化の道程を証言するシリアルノミネーションであり現役産業施設を含む28の構成要素が811市に立地する。本国民会議は同世界遺産登録を支援し、内外へ情報発信および啓発活動を行い、明治維新の産業革命の世界文化遺産の登録に向け国民の合意形成を図り登録実現を支援する。

 

設立発起人一同

 

(注1)ユネスコの世界遺産登録された際の正式名称は「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業」となりました。