トップ > 国民会議発起人 > 今井 敬名誉会長ご挨拶

今井 敬名誉会長ご挨拶

 

 2013年6月11日

産業遺産国民会議発起人準備会議長

 今井 敬 様

 

 

少しいきさつお話しいたしますと、6、7年前に今プロデューサーをやっておられます加藤康子さんが、加藤さんは加藤六月先生の御嬢様でございまして、現在八幡で稼働中の設備を含む産業遺跡を世界遺産として推薦したいという話で、私のところにお見えになりました。稼働中の設備にいろいろ手を加えることはまかりならんということになりますと、私どもの製鉄所は非常に困るということで、そのときは否定的でしたが、その後色々と状況が変わり、文化財と違って、むしろ産業遺産の場合は稼働中の設備が入っていた方が評価が高いということで、設備の保存と生産の継続とのバランスを取って、内閣官房の方で総合調整をしていただけるということになりましたので、このプロジェクトに賛成して、推進するという立場になったわけでございます。

 

日本の近代化は、ジェームスワットが蒸気機関を発明した産業革命に遅れること100年でスタートしたわけでございますが、初めのころは黒船に対抗するために大砲をつくろうという目的で、薩摩藩や長州藩、あるいは幕府も韮山に反射炉を造って鉄を生産しようとしましたが、これはうまくいかなかったようでございます。その後明治政府になり、富国強兵、殖産興業の方針の下、近代化のための設備増強に力を入れ、鉄につきましては、初めに釜石で高炉を造ろうということで色々とやり、ある程度成功しました。その後、場所を八幡に移し、この資料にございますように、1901年に官営八幡製鐵所の高炉が稼働を始めました。造船につきましては、蒸気機関による船はだいぶ前に出来ておりましたが、鋼鉄船ということになりますと、三菱が長崎で、当時外国から鋼材を輸入して、19世紀の末に造られたということで、今その当時の設備がまだ現存して活用されているそうでございます。また、産業革命で一番重要だった蒸気機関を動かすための石炭につきましては、三菱の高島、その隣の端島、軍艦島と呼ばれておりますが、ここで近代的な採掘方法が確立されました。一番大規模だったのは、三井の三池でございます。以来100年間、日本国内で約5000万トンの石炭が日本の工業化のために掘られましたが、今は海外炭に比べ、コスト競争力もなくなったために、ほとんど閉山しているわけでございます。三井の石炭の積出港である三池港は、現在も工業港として活用されておりますし、軍艦島は観光資源としてこれから大いに活用される可能性があると思います。

 

こうした昔の設備を、稼働中のものはそのまま産業遺産として、世界遺産に登録したいということでございます。こういう考え方には、明治の方々が一生懸命近代化のために努力された跡を残すという意味で、大いに賛成でございまして、これを進めるための国民会議を今後発足させるということであると存じます。どうぞ皆様方にもひとつご協力の程お願いを申し上げまして、私のご挨拶といたします。